ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

78637

田中泰三様提供の画像につき、転載はご遠慮ください。(リンク先の田中泰三さんとは関係がありません。)

f:id:railway-photo:20201014071206j:plain

昭和43(1968)年3月31日 米子機関区

車歴は↓こちら。 

78637 機関車データベース (形式8620) - デゴイチよく走る!

後期型の機関車で、標準的な外観に見えます。自信ないけど。最初から空気ブレーキを採用していたので、制動装置も最初から搭載。

ところでハチロクの設計に当たり範としたのが、ドイツ製の8800形式と云われています。日本で大型の機関車を開発するにあたり、その参考のために海外から輸入した機関車(8700形式、8800形式、8850形式、8900形式)の1形式で、確かに動輪配置は同じです。8800形式は関西圏より西で活躍しましたが、同じドイツ製の8850形式は主に関東で活躍しました。第一動輪を主動輪とする独特なフォルムで、川崎造船所ではコピー機が製造され、その一部は晩年を北海道の私鉄(三井鉱山奈井江鉱業専用鉄道線)で過ごしました。キューロクの設計ではボイラーの高さが問題視されていましたが、ボイラー位置の高い8850形式でその安全性が確認されていたことで、キューロクの製造にGOサインが出されたそうです。何しろ日本最初の本格的国産機関車のトップバッターですから、欠陥があってはいけません。慎重に慎重を重ねての判断だったのでしょう。(しかし、あっと驚く左クランク先行。)因みに日本でボイラー位置が一番高いのは、いわずとしれたC62です。

この中型機関車のハチロクが所定の性能を発揮した優秀な機関車だったことで、いよいよ大型の旅客用機関車18900形式(後のC51)の開発へと進むことになります。