ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

18621

田中泰三様提供の画像につき、転載はご遠慮ください。(リンク先の田中泰三さんとは関係がありません。)

f:id:railway-photo:20201018073558j:plain

昭和43(1968)年9月20日 鳥取機関区

車歴は↓こちら。

18621 機関車データベース (形式8620) - デゴイチよく走る!

パイプ煙突にシールドビーム。大正時代のモダンなスタイルをいささか損なっている印象ですが、現場の都合に合わせた改造と思えば致し方ないことだと思います。C54形式より前の形式では除煙板が後付けされたこともあってか、様々な形状があります。ハチロクやキューロクでは画像の形状が主流でしたが、シリンダー上方に点検用の穴が設けられたり、前端上部角に隅切りが行われたりもしました。幾分、背の低いものがあったり、九州では門デフも見られました。ちょっとしたアクセサリーがその機関車を特徴付けてしまうのは、人間と同じでしょうかね。

ところで同世代のキューロクとともに気になるのはキャブへのステップです。炭水車とキャブ下の2カ所に設けられています。位置から考えて、キャブ下のステップは要らんだろうと思うのですが、これはおそらく検査時に炭水車と切り離した際に、作業者がキャブへの上り下りに使ったのではないかと想像します。

それまで日本の蒸気機関車はほとんどを輸入に頼ってきましたが、英国製の機関車がこの2ステップ構造となっており、それに対して米国製の多くは炭水車の1ステップのみとなっています。ハチロクは独逸製に近いのですが、2ステップです。

大型輸入機である8700形式(英)、8800形式・8850形式(独)、8900形式(米)らは、日本の仕様書がそうなっていたのか、全て2ステップです。

ハチロクに続く18900形式(C51形式)も初期の頃は2ステップでしたが、後に1ステップとなり、9900形式(D50形式)以降では最初から炭水車の1ステップとなります。C53流線型以降の密閉キャブでは出入り扉下のみの1ステップがほとんどですが、C58の戦前形は炭水車1ステップとなっています。なお北海道の密閉キャブ化改造車はオリジナルの炭水車1ステップのままです。この辺りのディテールについては、模型屋さんなら常識なのでしょうね。

たかがステップにも歴史が垣間見えます。そういえば、DD51のフロントステップには様々な形状がありましたね。