ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

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田中泰三様提供の画像につき、転載はご遠慮ください。(リンク先の田中泰三さんとは関係がありません。)

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昭和43(1968)年3月 直方駅

 

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昭和43(1968)年3月 直方機関区か

車歴は↓こちら。

19680 機関車データベース (形式9600) - デゴイチよく走る!

3年後に北海道へ転配されますが、渡道前に門デフを装備することになります。晩年は遠軽区の所属だったせいか、同じ門デフの79602ほど有名ではありませんでした。せっかくナンバープレートは緑色に塗られていたのにね。

通常、煙突の後ろに設置される消音器が、随分と左側に寄っています。右側にはリンゲルマン濃度計が付いています。

元空気溜(エアタンク)は、右側が後方で左側は前方といった具合に左右で位置が異なっています。その位置は機関車によっても異なっており、特定機を模型化する場合のポイントとなります。

上の画像はセラ1形を連ねた石炭列車でしょうか。下の画像では緩急車であるセフ1形の姿があります。狭苦しそうな車掌室がちょっと気の毒です。北海道で活躍したボギー車であるセキ3000形やセキ6000形しか見たことのない私にとっては、このセラという貨車の独特の形状はとても魅力的に見えます。2軸だし。この年の10月から65km/h以下でしか走行できない貨車には黄色の帯が車体側面に入れられ、形式文字の前には「ロ」が表記されることになります。中でも北海道の貨車には「道外禁止」の文字が添えられ、道内封じ込め車両となりました。美祢線では黄色帯を巻いたセキ6000形がセキ8000形とともに石灰石輸送に使われていたのは、今や伝説でしょうか。