ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

48681と58685

田中泰三様提供の画像につき、転載はご遠慮ください。(リンク先の田中泰三さんとは関係がありません。)

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昭和43(1968)年6月25日 多度津機関区
車歴は↓こちら。

48681 機関車データベース (形式8620) - デゴイチよく走る!

 

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昭和43(1968)年6月25日 徳島気動車小松島支区

車歴は↓こちら。

58685 機関車データベース (形式8620) - デゴイチよく走る!

 

48681、58685ともに形式入りのナンバープレートですが、書体がゴシックなのとパイプ煙突なので古さの重みはあまり感じません。58685は後部標識灯が1灯だけ装備しているので入換用でしょうかね。現在は多度津駅前に保存されています。

railway-photo.hatenablog.com保存する際に、化粧煙突に交換されたようです。

 

四国に初めて投入されたテンダー機関車は2Bの5400形式(英国製)で、それ以降6250形式や6760形式といったやはり2B型が昭和の初期頃まで投入されました。その後、1C形のハチロクが配置されますが、いずれも旅客用機関車であったため上り勾配には弱く、トンネル通過時には苦労したようです。その解消にやってきたのがC58形式で、客貨両用の機関車としてその力を存分に発揮したようです。だいぶ先にアップする四国のC58は、多くが集煙装置や重油タンクを装備した重厚な姿となっています。

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昭和43(1968)年6月25日 多度津機関区

 

戦後になって10数両のD51土讃線に入線され、昭和35年頃まで活躍していたようです。(D51投入はGHQの意向だったとか。)貨物用機関車はこのD51だけで、キューロクは配置されませんでした。

輸送量との兼ね合いから中型・小型機関車ばかりだったため本州のようにスター的な形式がなく、また全国に先駆けて昭和45(1970)年に無煙化を達成したためSLブームの波にのまれることがなかったので、四国の蒸機写真は少ないです。しかしハチロクのトップナンバー機8620が四国で生涯を終えて、青梅鉄道公園に保存されているのは特筆されるでしょう。

四国には炭鉱がなく、戦時中には本州からの石炭が入手できずに薪(まき)を焚いて走ったハチロクもあったそうです。煙突から火の粉を撒き散らす姿を思い浮かべてしまいます。

 

そうそう。「鬼滅の刃」の「無限列車」を牽引したのはハチロクでしたね。