ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

29657

河村義朗様ならびに田中泰三様提供の画像につき、転載はご遠慮ください。(リンク先の田中泰三さんとは関係がありません。)

f:id:railway-photo:20201110072644j:plain

昭和43(1968)年6月10日 稲沢第一機関区

車歴は↓こちら。

29657 機関車データベース (形式9600) - デゴイチよく走る!

コンプレッサーの消音器が煙突の前に装備されています。前端梁のトラ模様、フロントデッキ上の幅広手摺、いかにも入換機といったスタイルです。平区のカマ同様、煙室両側のランボード上には何かが載っています。形式入りナンバープレートが好ましいです。

このカマ、車歴表で分かる通り、実は北海道には馴染み深く、晩年は滝川機関区に所属し、赤平までの貨物列車や赤平駅、砂川駅の入換などを担って生涯を終えました。

f:id:railway-photo:20201110075311j:plain

昭和50(1975)年7月13日 滝川機関区

 

f:id:railway-photo:20201110080141j:plain

昭和50(1975)年10月26日 滝川駅

未明、赤平駅へ向けての発車を待つセキの返空列車。

 

f:id:railway-photo:20201113084449j:plain

 昭和50(1975)年10月26日 赤平駅

駅構内で入換に励みます。炭水車後面もトラ模様です。

 

f:id:railway-photo:20201113085450j:plain

  昭和50(1975)年10月26日 滝川機関区

赤平駅での運用を終えて滝川機関区の車庫で休憩中。

 

ナンバープレート・前照灯が変わり、除煙板が設置されました。そして煙室扉にはトラ模様が施され、ガッツリ北海道仕様となり、キューロクとしては最後の本線仕業を終えました。

蒸機全廃を迎え、蒸機を惜しむあまり全国各地の個人や自治体などから国鉄に対して蒸機譲渡の申し込みが殺到し、北海道で最期を迎えた多くの蒸機が全国各地で保存されることとなりました。しかし鉄道車両の保存は甘くありません。野外に保存展示され風雨に晒される環境下では、十分に手入れをしないとたちまち傷み始めます。特に、蒸機に縁もゆかりもない土地での保存の場合、元機関士や愛好家などによるボランティアの確保がままならないため、管理人や管理組織がいなくなると放置されるに任せ、後は朽ちるだけとなってしまいます。この29657も寝台車と共に新潟県のホテルで保存されたものの、ホテル廃業に伴い寝台車と共に放置され、今や無残な姿を晒しているといいます。哀れとしかいいようがありません。