ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

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河村義朗様ならびに田中泰三様提供の画像につき、転載はご遠慮ください。

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上の画像のクレジットで河村様の名前にミスがありました。申し訳ありませんでした。

下の画像が正しいものです。

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昭和43(1968)年6月10日 稲沢第一機関区

車歴は↓こちら。

29685 機関車データベース (形式9600) - デゴイチよく走る!

前照灯が大型ではないLP42なのがいいですね。えらく煤けているように見えますけど。

キューロクが登場した大正時代には、まだ電気前照灯が普及していませんでした。

電気照明以前にはカンテラ(油灯やカーバイド灯)を使っていましたが、その目的は闇夜の前方を照らすためではなく、列車の存在を知らせるためのものでした。蒸機の場合には結構遠方にあってもブラスト音が届くものですが、惰行運転中は案外静かなので接近するまで気づかないことがあります。ほとんど闇に包まれた夜間の運転はどうしていたのか不思議でなりません。また夜間であればいつトンネルに入り、いつ出るのか不安だったことでしょう。上り勾配であれば煙にいぶされるわけですから、前方が確認できないと心の準備すらできません。

キューロクやハチロクの落成写真の中には、前照灯未装備の形式写真が多々見受けられます。夜間のみカンテラを装着して運転され、日中は取り外していたそうです。古典ロコの写真でも、前照灯を取り付ける支持金具だけが頭の上に飛び出している姿が数多く見られます。

セノハチの補機として活躍していたC52に至っては、常に後部補機としての運用だったために列車の先頭に立つことがなく、「前」には装着していませんでした。しかしながら補機運用を終えて瀬野へ戻る際にはバック運転となるため、炭水車には前照灯が装備されていました。

太平洋戦争時には灯火管制が敷かれ、前照灯のガラス面を黒く塗ったり黒い板が貼られたり、或いは撤去されることもあったようです。当時は汽車の写真を撮ることはスパイ行為とみなされたので、写真記録は極めて少ないのです。