ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

49610と49612と49626

田中 泰三様と江別の鐵様の画像の転載はご遠慮ください。

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昭和42(1967)年7月15日 高山機関区

車歴は↓こちら。

49610 機関車データベース (形式9600) - デゴイチよく走る!

廃車数か月前の姿ですが、この1枚しかありませんでした。

炭水車の後ろだけを見ても、他の機関車とは、ステップの形状、前照灯の位置、配線管や空気管の位置・形状、梯子の位置・形状、後部標識灯の形式・取り付け位置、炭水車上面の手摺の位置・形状、ナンバープレートの取り付け高さ・・・といった違いがあります。まさに手造り感に溢れています。

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昭和43(1968)年5月30日 松任工場

一番上の画像から10か月後、廃車となった姿です。工場建屋内にあるのは解体されるからです。その様子を撮影した画像は別記事でご紹介します。

 

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昭和50(1975)年7月13日 滝川機関区

 

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昭和50(1975)年10月26日 滝川機関区

車歴は↓こちら。

49612 機関車データベース (形式9600) - デゴイチよく走る!

右運転台改造車です。右側に動力式逆転機があります。7月13日の時点で、すでに火は落ちていましたが、10月26日には機関区外れに留置され、錆が浮き、完全に休車状態でした。フロントステップの踏板が「すのこ」板になっており、デッキには切り欠きがあります。切り詰め除煙板で点検用窓が切り抜かれているのは極く少数で、他には59615や59669が確認できます。

 

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昭和49(1974)年9月2日 旭川機関区

車歴は↓こちら。

49626 機関車データベース (形式9600) - デゴイチよく走る!

49626も炭水車後ろだけの写真しかありません。

なぜ右側にステップがないのか気になります。端梁の左右にくり貫かれた孔も気になります。かつては給水温め器を装備していたそうです。また砂箱が角ばっていたそうですが、この画像では全く分かりません。観察力が欠如しているので、カメラマンとしては失格です。

 

追記(2021-02-17)画像2枚・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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昭和49(1974)年4月 旭川機関区

 

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昭和49(1974)年8月 旭川機関区

旭川機関区から稚内機関区へ転属する少し前なので休車になっているのでしょうか。

 

江別の鐵様が49626の変形機ぶりを捉えていました。砂箱がゴツイ。C11のカマボコ形とも異なり、幅もあります。ちょっと重油タンクっぽい。

キャブ側面の雨樋からの縦管が短過ぎ。そこまでケチらなくても。

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キューロクやハチロクのように5桁の数字ではなかなか機番が覚えられません。覚えられないから扱いがぞんざいになって写真もいい加減になりがち。「96」や「86」は固定なので実質は3桁なんですけどね。でも目がちらついてダメ。

キハ45000とかキハ48200とか、気動車の旧形式もいまだに覚えられません。キハ17やキハ12の方が遥かに覚えやすいですね。

キューロクよりも宮崎区からやってきたお隣のC57 130の方が気になる方もいらっしゃるでしょう。門デフでしたからね。しかも切り詰め。C55を置き換えてもC57 87ほどは憎まれていなかったと思います。