田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。
49610が松任工場で解体される様子を、田中泰三様は詳細に写真撮影されています。その一部をここで公開させて頂きます。冒頭、背広姿の人たちが何人か写っており、何ららかの形で公開したものだったようです。
屋外に留置された状態。主連棒などは外されています。
炭水車を切り離し、機関車本体だけを移動。隣にはまだピッカピカのDD51 556。
ユニークな形状のタブレットキャッチャー。屋根からの排水管はキャブ前面に設置。
キャブ内。
見学団御一行様。
建屋内での解体は見学会のためでしょうか。一般的には屋外でバラッバラにします。
すでに空気圧縮機は撤去されています。
同時に何人もの作業員がガスバーナーで切断作業に取り掛かります。後方には修繕中のD51の姿が見えます。
機関車のアイデンティティとも云えるナンバープレートが取り外されます。
2本の太いパイプは過熱蒸気を左右のシリンダーへ送る主蒸気管。
煙室の横っ腹が切り抜かれています。
どういうタイミングなのかは不明ですが、車が抜かれ、車体が移動されます。屋外で解体する場合には車体と足を分離することなしに、そのままバーナーで焼き切って分解してゆきます。おそらく建屋内は限られたスペースなので、他の修繕の邪魔にならない場所で解体作業するためかと思います。
先輪部が丸出し。思いのほか複雑な構造です。
右は修繕中のキューロク。
すでに解体された9628の煙室扉が。と思いましたが、車歴表とこの後に復帰している写真が出てきたことから、9628は検査入場しただけだったようです。
元空気ダメのタンクや、ロッド類、イコライザー。全部鉄屑になるのでしょうか。
3分割された煙室扉。
別の場所では並行して炭水車の解体作業中。
大煙管の中から過熱管を引き出します。過熱管の中には沸騰した蒸気が通り、大煙管の中の燃焼ガスにより更に高温(400℃くらい)まで温められます。
キャブ外板の撤去。
ボイラー周囲(缶胴・火室)のケーシングが剥がされた状態。
板台枠の状態が良く確認できます。D50以降の機関車では棒台枠を採用し、もっとスリムとなり、逆光で側面を見ると、向こう側がスケスケに見えます。
煙室の外板上部撤去。
蒸気ドーム撤去。
缶胴上部撤去。
外火室撤去。
大煙管と小煙管の撤去。この煙管の中を高温の燃焼ガスが通り、煙管周囲の水を沸騰させます。
焚口部撤去。丸い穴が投炭口です。作業員の立っているのが内火室。業火のように炎が荒れ狂って石炭燃やします。
缶胴下部撤去。左側には火室が残されています。
火室の下面にあった火格子の撤去。台枠の上に載る構造なので広幅です。下に出っ張っているのは灰箱。
廃車に関する手続きの書類。
新製価格:2662万6081円とあります。当時の金銭価値を今の価値に換算するのにざっくり100倍として約27億円。因みにC62の製造価格は銭から円となった戦後で6000万円だったと子供向けの本に書かれていました。今の価値ではざっくり10倍の6億円といったところでしょうか。ま、適当ですけど。
49610の最期を見届け、そのナンバープレートを手にする複雑な表情の田中泰三氏です。鉄道写真集「高山線の60年」(郷土出版社 1994年11月28日発行)に掲載された写真でもあるので、膨大な量の貴重なシーンを記録されたことに敬意を表して、ここでご本人の姿を紹介させていただきました。
昭和43(1968)年5月30日~6月1日 松任工場