ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

B20形式 1号機と10号機

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年9月1日 小樽築港機関区

車歴は↓こちら。

B201 機関車データベース (形式B20) - デゴイチよく走る!

すでに廃車となった姿で、しばらく小樽築港機関区に保管されていたようです。1号機は側面にナンバープレートがありません。

戦時中、主に工場での入換用として標準設計された小型機関車です。完成は戦争末期であったため、疲弊した工場での需要はすでになく、戦後の復興期にもたいした活躍はできなかったようです。戦時設計であるため、ドームの十字鐘と鳩マーク以外の装飾は一切なく、典型的な産業用機関車といった風貌でした。

規格機関車としての区分は3つからなり

軌間による区分

甲(1435mm)、乙(1067mm)、丙(1000mm)、丁(762mm)、戊(610mm)

◎動軸数による区分

B:2軸、C:3軸

◎重量(トン)による区分

6、10、15、20、25、30

とされ、それらを組み合わせてまず10形式が制定され、それらの形式は次の通り。

戊B6

丁B6、丁B10、丁B15、丁C15、丁C20

乙B15、乙B20、乙B25、乙C30

部品は規格化したものを使用し、工数を減らすために全体的に角ばったデザインとなっています。流石にボイラーや煙突は四角ではありませんが、戦時設計のD51やD52、C11のドームにも同様の角ばった形態が見られました。

10形式のうち実際に製造されたのは乙B20形式のみで、国鉄形制式機関車なので本来ならばB10形式(5500形式からの改造タンク機関車)の続番であるB11形式となるところですが、本来の形式を踏襲しB20形式と命名されました。

最初の5両は機関車メーカーには製造する余力がなかったため、国鉄の郡山工場でまず5輌が製造され、戦後になって10輌が立山重工業で製造されました。

熟練工らがいない状況で製造されたため品質はイマイチで故障続出。需要も少なく、ひっそりと消えてゆく中にあって、昭和40年代に始まるSLブームの頃に、小樽築港区の1号機と鹿児島区の10号機がマスコット的アイドルとして脚光を浴びたのが救いでしょうか。その勢いに乗ってB20 10は遂に本線運転を実施することになります。

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昭和46(1971)年2月18日 鹿児島機関区

車歴は↓こちら。

B2010 機関車データベース (形式B20) - デゴイチよく走る!
車歴表にあるように昭和44(1969)年7月27日、4重連の先頭にたって日豊本線の鹿児島~重富間14kmを走りました。客車3輌よりも機関車4輌の方が長いという、いささかいびつな編成でやり過ぎ感あふれるイベント列車でしたが、薄幸なB20形式の最後の花道を飾る列車であることから、沿線では全国から集結した数千人ものファンに見送られたという事です。

一方、B20 1はC62狙いで小樽築港区を訪れたファンがついでに撮影するといった程度の注目度でしたが、機関区では大切に保管され、後に万字線 朝日駅跡の公園に正式に保存されることとなり、今でも大切にされているのはファンとしてありがたいことです。