ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C11 7とC11 11

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和42(1967)年8月20日 原ノ町機関区

車歴は↓こちら。

C117 機関車データベース (形式C11) - デゴイチよく走る!

 

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昭和43(1968)年9月20日 鳥取機関区

 

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昭和43(1968)年10月03日 鳥取機関区

 車歴は↓こちら。

C1111 機関車データベース (形式C11) - デゴイチよく走る!

 

国鉄におけるタンク機関車はそれまで専ら輸入機関車かテンダー機関車からの改造車で賄ってきました。しかし昭和に入ると機関車の老朽化と増大する輸送量に対応するため、新型タンク機関車の製造に着手することとなり、そうして誕生したのがC10形式でした。性能的にはタンク機でありながらも8620形式やC50形式に匹敵する性能が要求され、新機軸を搭載し23輌が昭和5(1930)年に誕生。東京、大阪、名古屋、奈良、熊本などで試用されその実力が検証されました。そしてその改良形というべき機関車が昭和7(1932)年に誕生するのですが、これがC11形式でした。

大幅に溶接を取り入れることで重量を軽減し、軸重も12.9tから12.4tへと減少、地方線区での運用拡大に貢献しました。

C10に対して外観上もっとも異なるのは除煙板の採用でしょう。テンダー機のC54形式が正式に採用したのに続く2例目でした。(後にC10でも17号機がC56タイプの除煙板を装備しています。)そのC54は、不況下にあってわずか17輌しか製造されなかったのに対してC11は戦後まで増備が続けられ381輌(私鉄向けに更に18輌が製造された)の大所帯を築き、全国へ配置されて都市近郊からローカル輸送、そして入換にと大活躍することとなります。