ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C11 12とC11 23

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年3月31日 米子機関区

車歴は↓こちら。

C1112 機関車データベース (形式C11) - デゴイチよく走る!

 

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昭和43(1968)年10月3日 福知山機関区

車歴は↓こちら。

C1123 機関車データベース (形式C11) - デゴイチよく走る!

両機関車とも、除煙板の上部ステーは曲線を描くユニークな形状です。つらら切りの役目でもあったのでしょうか。ナンバープレートの位置は23号機が低めで、JR北海道の復活機171号機の現役時代と似ています。

先輪がディスクタイプに交換されており、ちょっと不似合いな印象を受けます。

缶胴の上には前から蒸気ドーム、砂箱ドームと並んでいます。この並びは一次型の23号機までで(奇しくもC10の輌数と同じ)、24号機以降は前後が逆転しています。蒸気ダメが前方にあると急ブレーキをかけた時や下り勾配の時に、ボイラー水が蒸気ダメに進水するおそれがあるからだとか。以降の蒸機は全てこの配置を踏襲しています。(一体形となったドームでは砂撒装置が前方にあるのはそのため。)

砂箱ドームを挟んで、前後に据えられたアーチ状のアングルは、高速運転時に発生する側水タンクの振動を抑制するためのものです。蒸機を構成する鉄材は熱によって収縮するため、全ての部材がガッチリ固定されているわけではありません。ボイラーは有火時には10mmほど伸びるので、ボイラーは台枠とは前部が固定されているだけで、後部は摺動する構造となっています。もし全固定されると接合部に内部応力が生じ、疲労破壊へとつながります。あの日航123便の圧力隔壁を思い出してしまいます。C11では運転室はボイラーに固定されていますが、側水タンクは缶胴とは接合されておらず、主台枠に固定されています。そのため側水タンクと運転室とは異なる振動を起こし、高速運転時にはそれが増幅されるという現象が起きてしまいました。アーチ状のアングルは外観的には褒められたものではありませんが、背に腹は代えられない現場の苦肉の策だったのかもしれません。

 

ところで23号機では興味深い写真が残されています。竣工間もない頃の、製造メーカーである日本車輛の構内で撮影されたものなのですが、それを見ると、側面のナンバープレートがメーカーズプレートと共に側水タンクではなく、キャブ側面の窓下に取り付けられているのです。これは規程違反なのですが、この様な例外がどれほどあったのか気になる所ではあります。