ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C11 94とC11 99

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像の転載はご遠慮ください。

f:id:railway-photo:20210123072432j:plain

昭和42(1967)年8月19日 青森機関区

車歴は↓こちら。

C1194 機関車データベース (形式C11) - デゴイチよく走る!

D52やC62には不釣り合いなシールドビームLP405も、C11にはまだマシかなくらいの感じはします。旋回窓と庇の形状、除煙板のバイパス弁点検口以外はオリジナルのスタイルでしょうか。

 

f:id:railway-photo:20210123072601j:plain

昭和43(1968)年9月1日 岩見沢駅か

 

f:id:railway-photo:20210123072641j:plain

昭和46(1971)年11月23日 苗穂機関区

車歴は↓こちら。

C1199 機関車データベース (形式C11) - デゴイチよく走る!

岩見沢駅で捉えたと思われる客車列車は万字線のものでしょうか。

苗穂機関区で撮影した画像とも、奇しくも初代キハ40系が写り込んでいます。

私が初めて蒸機列車を撮影したのは札沼線新琴似駅で、この機関車が上り貨物列車を牽引していました。後に目撃することとなる急行「ニセコ」のC62には到底及びませんが、ブラスト音も豪快に煙を上げて新琴似駅を発車するシーンを目の当りにし、その瞬間、汽車キチ信者・中毒者となってしまいました。小学校を卒業したての昭和45(1970)年3月下旬のことでした。

その年のクリスマス、父親が何をトチ狂ったのか、トビー製のC11をプレゼントしてくれたのです。当時で1万円以上もするとても高価な16番ゲージの模型です。しかし、実車の写真と見比べると、缶胴から火室にかけての膨らみが表現されておらず、それが気に入らなかったので何とか自分で改造してやれと思い、苗穂機関区で模型用に写真を撮ったりもしたのですが、その時のC11は模型とは形の異なる228号機でした。すでに模型は無残にもばらされた状態で、側水タンクも改造しなくちゃならんのか、などと悩んでいるうちにもう面倒臭くなってしまい、哀れにもトビー製C11はバラされたまま、二度と元に戻ることはありませんでした。そしてこの時に私の模型熱はすっかり冷めてしまい、現車撮影一筋の道を歩むのでありました。