ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C11 192とC11 193とC11 194

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和45(1970)年9月2日 早岐機関区

 

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昭和46(1971)年2月19日 早岐機関区

 

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昭和48(1973)年11月29日 会津若松運転区

車歴は↓こちら。

C11192 機関車データベース (形式C11) - デゴイチよく走る!

 

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昭和46(1971)年2月19日 早岐機関区

車歴は↓こちら。

C11193 機関車データベース (形式C11) - デゴイチよく走る!

 

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昭和45(1970)年9月2日 伊万里機関支区

 

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昭和45(1970)年9月2日 早岐機関区


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昭和46(1971)年2月19日 早岐機関区

車歴は↓こちら。

C11194 機関車データベース (形式C11) - デゴイチよく走る!

 

この当時、早岐機関区に配属されていた蒸機はD51:5輌、C57:6輌、C11:11輌、9600:2輌、8620:7輌の合計31輌で、比較的大きい機関区でした。因みに北海道で最大規模を誇った小樽築港機関区はD51:38輌、C62:6輌、C12:3輌、9600:7輌の54輌が所属し、国内でも最大の保有数でした。言い換えれば、それだけ北海道は無煙化が遅れていたことに他なりませんが。なんてったって四国はすでに蒸機はゼロ。

そして早岐機関区もその後の佐世保鉄道事業部もなくなってしまいました。

 

んで、早岐区のC11といえば寝台特急「さくら」を牽引したことで話題になったのは、C11 160の記事でちょっとだけ触れた通りです。ところがどっこい、上の3輌とも、ヘッドマークを取り付けるステーがありません。運用終了後に取り外されたのかもしれません。実際、192号機がヘッドマークを装着している姿がある写真集に掲載されているので、ステー取り付けはその時だけのものだったのかもしれません。

それにしてもLP403が重そうです。