ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C11 295とC11 296

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年3月21日 富山第一機関区高岡支区
車歴は↓こちら。

C11295 機関車データベース (形式C11) - デゴイチよく走る!

戦時設計の名残をよく残しています。かっちょ悪いけど。後ろにはスノープラウは装着していませんね。

 

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昭和43(1968)年2月1日 大垣電車区か? 米原駅か?

車歴は↓こちら。

C11296 機関車データベース (形式C11) - デゴイチよく走る!

295号機とはスノープラウの形状は異なるものの、機関車の外観はよく似ているように見えます。

 

C10、C11の軸配置は「アドリアティック」とよばれる1C2ですが、この軸配置の形式は国鉄にはわずか4形式しかおらず、その最初が3700形式(製造:1908~1909年)でした。もともとは山陽鉄道兵庫工場で製造された35形式(番号は153~158号)で、製造途中で国有化され、帝国鉄道庁に引き継がれ3700形式となりました。この形式の側水タンクや炭庫の形状がC11に引き継がれています。アメリカ製B6である2500形式から改造されたのが3500形式(改造:1910~1911年)で、総数5輌のうち3輌の炭庫が同様の構造でした。近代機であるC10、更にその改良量産機であるC11へと、明治末期に誕生した3700形式の遺伝子が大正時代を越えて昭和へと受け継がれたわけです。