ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C11 352とC11 355

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年6月30日 高崎第一機関区

車歴は↓こちら。

C11352 機関車データベース (形式C11) - デゴイチよく走る!

入換用として使用されていたようです。渋川支区時代には長野原線(現 吾妻線)の運用に就いていたようです。

 

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昭和43(1968)年2月1日 大垣電車区

車歴は↓こちら。

C11355 機関車データベース (形式C11) - デゴイチよく走る!

煙突の付け根にRがないのも戦時設計の特徴なのでしょうか。ところでこのパイプ煙突ですが、C53から採用されました。C10、C11はその性能・用途からC50のタンク版と呼ばれることがありますが、デザインはC54の流れをくんでおり、それまでの曲線的で優雅なものから直線的で精悍な印象へと変わりました。C11の顔つきはC54にそっくりだと思いませんか?この直線的なデザインは島秀雄氏の意向とされています。パイプ煙突もその流れの中で採用されたものでしょう。機能美を意識してのことだと思いますが、後にD51ナメクジでは、その生物とは全然印象のことなる、煙突から蒸気溜めまでを一体カバーで覆った形状が優雅な雰囲気を醸し出しています。しかし動輪はスポークを止めボックスを採用し、近代性と優美さとを融合させた斬新なデザインのように思われます。何より貨物用機関車なのにも関わらず、煙室前端をR仕上げにしたのは、後のC57から始まる旅客用機関車の特徴となっています。

砂箱と蒸気溜めとを一体化したドームは国鉄ではC55からの採用ですが、私鉄の簸上(ひかみ)鉄道(木次線の前身)ではその2年前に製造された新2号が日本最初の採用でした。国有化により2代目3040形式と命名されましたが、1両だけの形式で、戦時中に軍供出により海南島へ送られてしまい、その後の消息は杳として知れず。

もしも島氏がピコ~ンとひらめくのが早ければ、C10のふたコブからC11ではひとコブになっていたかもしれませんね。