ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

拓鉄の8622

江別の鐵様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和50(1975)年12月 南新得駅

車歴(沖田祐作著「機関車表」より、一部加工・追記)

1928-09製造(自社発注)
1929-01-25竣功届

1929-07空気制動機取付

廃車
1977-05保存(北海道鹿追町鹿追駅跡公園)

 

昭和35(1960)年7月に同僚の8621が廃車となり、その後に廃車となったようです。国鉄8620形式とほぼ同型で、国鉄での製造も終盤に近付いた頃に作られました。形式は8620ですが、番号は8621、8622となっており、8620はおりません。現役時代の写真を見ると、形式入りのナンバープレートの書体が何とも田舎風で微笑ましいです。現在、保存車が装着しているナンバープレートが本物かどうかは分かりませんが、その書体です。

 

保存前には、北海道拓殖鉄道の南新得駅跡付近にしばらく留置されており、画像の少し前には他の知人が8621の廃車体などを撮影しています。江別の鐵様は、国鉄最後の蒸機列車を撮り終えて放心状態のまま周遊券の期限が切れるまで道内各地を列車で揺られていたそうですが、たまたま車窓からこの機関車を目撃し、慌てて新得駅で下車して撮影したそうです。鉄も歩けば車輛に当たる。

8622の横に並ぶのはキハ112と思われます。佐久鉄道、西武鉄道を経て入線した車輛です。廃車後は士幌のドライブインに売却されたようですが、今はどうなっているでしょう。ピンクの車体に白帯というなかなか洒落た塗色でした。

8622の後ろに連なるのは客車のナハ501でしょうか。ホロハ1として新造され開業時から活躍しましたが、戦後まもなく事故により大破。しかし、車体を半鋼製として復旧し形式を改めました。

 

かつて根室本線のバイパス線として、北海道拓殖鉄道跡に「北十勝線」を敷いて新得から上士幌経由で足寄まで結び、更にそこからは白糠線として北進へつなげる計画がありました。帯広、池田を無視した経路ですが、もしも完成していたら、十勝地方の人口分布は大きく変わっていたかもしれませんね。