ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

東洋活性白土の2号機

江別の鐵様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和52(1977)年8月 東洋活性白土

車歴(沖田祐作著「機関車表」より、一部加工、追加)

協三工業=6086 1951-06-00 S6tBt(610)
1951-06-00製造(保管G762)(762mmゲージで竣工)
1956-03-00再整備納入(G610)(610mmに改軌)

1982-10;専用線廃止 廃車
保存;糸魚川市糸魚川小学校(新潟県)(所有は糸魚川市役所)

2007;大鉄道博覧会展示にあたり成田ゆめ牧場羅須地人鉄道協会で整備

2007-7/10~9/9まで展示;東京両国「大鉄道博覧会」

2007-9; 移転 美山公園「フォッサマグナミュージアム

2020-10;「糸魚川ジオステーション ジオパル」に移設

 

2号機と言われていますが、正式な称号はなかった模様。後年、「くろひめ号」の愛称を授けられます。昭和51(1976)年3月、国鉄から蒸機が消えた後も、室蘭の鉄原コークス、西武山口線大井川鉄道糸魚川の東洋活性白土専用線にはまだ蒸機が生きていました。とりわけ東洋活性白土の蒸機2輌(1号、2号)はゲージ610mm(609mmという説もあり)というナローであり、長閑な沿線という舞台と相まって、ひときわファンの注目を集めていたようです。

1号機は予備機でしたが、本務機の2号機が故障しても稼働することはなく、車庫の中で静態保存状態だったようです。江別の鐵様が訪問した時も、車庫の中でカバーが掛けられ、その姿を拝むことはできなかったそうです。一体、何のための予備機だったのか。安全祈願の御神体だったのでしょうかね。現在は羅須地人鉄道協会が運営する「成田ゆめ牧場」にて動態保存へ向けて活動中だとか。

150形式に始まる日本の蒸機史は、この2号機が日本最後の業務用蒸機として締めくくりますが、その栄誉に相応しく、糸魚川ジオステーション ジオパルで大切に保存され、多くの来場者にその存在を知られることは、2号機にとっても幸せなことでしょう。

 

東洋活性白土専用線や羅須地人鉄道協会について興味のある方はググってみて下さい。