ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C12 42とC12 46

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和42(1967)年3月27日 稲沢第一機関区

なんと、クレーン車を牽引しています。アームはチキか何か長物車に預けています。最後尾にはテンダ機関車の姿が見えます。

 

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昭和44(1969)年8月3日 中津川駅

 

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昭和46(1971)年6月26日 中津川機関区

車歴は↓こちら。

C1242 機関車データベース (形式C12) - デゴイチよく走る!

中津川区のC12は明知線の貨物牽引と入換用に使用されていました。昭和30年前後には、中津川~落合川間の勾配区間で後部補機運用もしていたようです。セノハチのように自動解放していたんだとか。

炭庫の増炭用の枠設置が多くの機関車で見られました。後面、連結器の上方にある点検蓋を開けているのは何のためなのでしょう。キャブの窓を開けているのはキャブ内への送風でしょうけれど。

左側水タンクのメーカーズプレート(日本車輛)が2年の時を経て外されていますね。右側面は確認できません。

 

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昭和43(1968)年7月1日 桐生機関区

車歴は↓こちら。

C1246 機関車データベース (形式C12) - デゴイチよく走る!

桐生区のC12といえば、足尾線の運用。首都圏から日帰り圏内ということもあり、動画でも多数記録されており、渡良瀬川に沿って、貨物列車を重連で牽引していたのはあまりにも有名でした。回転火の粉止めは外されています。

こちらは炭庫の増炭用枠がありません。42号機もそうですが、後部のステップは左側が大きいものに交換されています。機関士側なので、頻繁に利用するため、安全上の措置でしょうか。同様にフロント部のステップでも、左側だけ踏板の大きいものに交換されているものもあります。灯火が3基もありますが、1灯は補助灯でしょうか。後面の開かれた点検蓋の上方にある4つの部品はSG管の留め金具でしょうか。