田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。
昭和43(1968)年6月30日 高崎第一機関区
車歴は↓こちら。
C1249 機関車データベース (形式C12) - デゴイチよく走る!
この年の9月まで桐生機関区に在籍していたので、この画像は桐生機関区で撮影されたものかもしれませんが、10月には高崎第一機関区へ転属しているので、日付とともに場所の特定もちょっと怪しいです。前端梁の下に伸びるのはSG管でしょうか。
昭和43(1968)年10月3日 西舞鶴駅
車歴は↓こちら。
C1251 機関車データベース (形式C12) - デゴイチよく走る!
側水タンク上面の取水口が改造されています。同区の215号機も同様の形状です。それにしても側面ナンバープレートの取り付け位置が低くないかい。
C11では、初期の23号機までは蒸気ドームが前、砂箱が後ろという配置になっていましたが、C12では全数が砂箱が前に配置されています。しかし形式図にはこの配置を逆に描いたものがあったせいなのか、「蒸気機関車 No.36号 昭和50年3月号」のP.14の記事中には「C12三七までは前寄りに蒸気ドームが設けられていたが」という、C11と混同したような誤った内容が記されています。また同記事中P.16には「樺太庁時代のC12の二五六」といった誤認もあり、事の真実は複数の記事を突き合わせないと明らかにならないものだとつくづく思いました。思いましたが、めんどくせ~。
誤認といえば、私鉄買収したピッツバーグ製の3400形式の中に、同軸配置ながら形状の異なるブルックス製の機関車(博多湾鉄道1号)を3400形式3418号機に誤認定してしまった件や、二代目北海道鉄道(後の千歳線)所属の機関車(7~9号)もまた、軸配置が同じながらも全く外観の異なる機関車を7200形式7225~7227号機に誤認定した例などが思い起こされます。特に後者の方は、7225形式と主張する意見もありますが、公式上はあくまでも7200形式です。また前者は国鉄編入後、使用されぬまま廃車になったというオチがつきます。
私鉄のC12タイプのうち、常総筑波鉄道の51号機は飽和式です。それ故に外観が同じという理由だけでC12タイプとすることに異議を唱えるファンもいるようです。実際、国鉄では飽和式の6700形式に対してほぼ同形で過熱式の6750形式(いずれも国産機)という具合に厳として形式を区別していますから、飽和式のC12はC12ではあり得ず、常総51号機は「なんちゃってC12タイプ」ということになるでしょうか。国鉄に編入されたわけではないので、国鉄制式を無理に適用することにどんな意味があるのは分かりませんけど。