田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。
今回はお口直しに蒸機以外の画像をアップしてみました。
昭和42(1967)年6月 高山駅・高山機関区
連番でDD51が新製配置されて間もない頃になります。ただし配置は高山機関区ではなく美濃太田機関区でした。上記3輌から少し遅れて557~559号機が追加配備されます。
画像は試運転が高山まで実施された時のものだと思います。
煤まみれになって整備・運用していた蒸機から解放されて、検修掛や乗務員はさぞや清々しい気持ちになったのではないでしょうか。もっとも、それに伴い機関区の統合整理やワンマン運転が推進されたことで、組合運動が激化して労使関係は最悪の状況となり、そのあおりを食う形で乗客や荷主たちへ被害が及び、自動車の普及という社会現象と相まって、国鉄離れが進むことになります。戦争による荒廃から完全復興を果たした先には、国鉄解体という衝撃的な結末が待ち構えているのでありました。