ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C55 42とC55 43

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

f:id:railway-photo:20210323070722j:plain

昭和42(1967)年8月13日 琴似駅付近

車歴は↓こちら。

C5542 機関車データベース (形式C55) - デゴイチよく走る!

C55は形態的に3つのグループに分かれており、1次車:1~19号機の前期標準型、2次車:20~40号機の流線形、3次車:41~62号機の後期標準型となります。2次車・3次車では、1次車よりも全長が100mm短くなっています。更なる増備となった63、64号機は、性能的にも外観上も改良の域を超えていたため新形式のC57となりました。

 

画像の時代には苗穂区の所属でしたが、前所属の旭川区で前側ステップを前端梁に移設していたようです。除煙板前端に手摺は増設されていません。画像ではちょっと判別できませんが、おそらくキャブは密閉化されていたでしょう。

機関車に「架線注意」札はあるのに、線路には架線も架線柱もありません。同じ場所で撮られた他のコマを見ると反対方向(おそらく札幌方)には架線柱だけ建植されています。前年の11月に手稲銭函間で電気車の試運転が開始していたものの、電化工事の進捗状況はこんなものなのでしょうかね。因みに当時の琴似はこんな田舎風でした。あまりの変わり様に場所を特定することができません。

 

f:id:railway-photo:20210323070858j:plain

昭和43(1968)年12月26日 音威子府駅

 

f:id:railway-photo:20210323070951j:plain

昭和43(1968)年12月26日 稚内機関区

車歴は↓こちら。

C5543 機関車データベース (形式C55) - デゴイチよく走る!

音威子府駅の列車に乗車して、SAMPUKU爺様は稚内へ向かったのでしょう。当時の時刻表が無いので確認のしようがありませんが、稚内機関区で捉えたバック運転は、稚内機関区から稚内駅へ向けての回送列車でしょう。機関車は稚内到着後に機回しを行い列車の先頭に立ちます。

炭水車の前照灯は炭庫に埋め込まれたタイプで、手宮の小樽総合博物館に保存中の50号機と同じ構造のようです。