SAMPUKU爺様と江別の鐵様の画像につき、転載はご遠慮ください。
昭和42(1967)年8月6日 琴似駅付近
昭和42(1967)年8月7日 留萠機関支区
海水浴列車「かもめ号」を牽引していた頃で旭川から留萠本線の増毛や羽幌線の小平や鬼鹿まで運転されていたようです。留萠機関区には当時、D61が全機6輌が配置されていました。
補助灯未装備のまま廃車されたようです。
前面ステップの位置は旭川機関区ならではのもの。デッキの手摺はDD51の手摺みたいに折れています。除煙板に接近しすぎのせいでしょうか。
冬期間はブルーシートで覆われていました。
後退角を持つキャブ前面は、C56、C57、C59(C60)にも採用されました。側窓にはバタフライスクリーンが装備されています。冬場には必須なものです。「5」の字型のタブレット受けやメーカーズプレートがキャブ側面を引き締めています。キャブ前面上部の明り取り窓にまで庇が付けられているのは珍しいでしょうねえ。この窓から前を覗ける人ってどんだけ背が大きいんだか。
炭水車には増炭枠がありますが、後部枠が山形になっているのは珍しいです。左側のステップが内側に折れているのは、保存設置時にひん曲げたのものでしょうか。
車歴は↓こちら。
C5549 機関車データベース (形式C55) - デゴイチよく走る!
廃車後は稚内の北防波堤ドームに隣接して保存されていましたが、潮風をモロに受けて腐食が進み、平成8(1996)年に解体されてしまいました。ここには戦前、稚泊航路(稚内~泊(現在のコルサコフ))の桟橋が設けられており、稚内桟橋駅では防波堤ドームによって風雨にさらされることなく連絡船に乗り継ぐことができました。