ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C57 1

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像の転載はご遠慮ください。

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昭和42(1967)年8月1日 新津駅

 

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昭和47(1972)年5月22日 新津機関区

 

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昭和54(1979)年8月15日 津和野駅

車歴は↓こちら。

C571 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

時を経て、表情が異なるC57 1。もともとはC55 63と命名される計画でしたが、外観も性能も異なるという事で別形式となり、栄えあるトップナンバーを冠しました。

昭和36(1961)年には下り急行「日本海」の牽引中に脱線転覆事故で大破するも(幸いにも死者は無し)、すでに1号機として人気を博していたことから、廃車されることなく見事に復帰しました。(この時、先台車はC59のものに振り替えられました。)「佳人薄命」とはならず、その後の波乱に満ちた人生を華奢な躯体で、ず太く生き抜くことになります。

昭和47(1972)年にはお召列車牽引。「貴婦人」などという愛称は好かないですが(あくまで個人の感想です。新津機関区時代には部内で「八頭身美人」と呼ばれていたそうな)黒光りする車体と金色の装飾には気品を感じます。

昭和51(1976)年にはSL「京阪100年号」を牽引中に、線路内に立入った小学生を撥ねて死亡させ、以降、大都市でのSL列車の運転はしばし中断されることになりました。この時は、SL運転を煽りに煽ったマスコミの過熱報道も問題視されました。

昭和54(1979)年に「SLやまぐち号」の運転が開始され、国鉄による本格的動態保存が実現しました。この際、煙突に設置された集煙装置がファンの間で物議を醸し出しました。勿論、外観が損なわれる、みたいな低レベルな批判に過ぎません。復活運転に際し、現場では誰も乗務したがらなかったそうです。今更、なんで大変な思いをせにゃならんのだ、とね。しかし実際に乗務してみると、沿線で見守る人たちの多さにビックリ。ちょっとした花形スターの気分になり、案外悪くないと思ったとか。

平成7(1995)年の阪神淡路大震災では、鷹取工場に検査入場していた際に被災し損傷を受けてしまいましたが、「SLやまぐち号」の看板機関車だけにこれまた復旧。

昭和12(1937)年に誕生して以来、今年で実に84歳。平成17(2005)年からは5年間に及ぶ大規模な更新工事により老朽化した箇所の全面取り換えなどが実施されており、これからも老いて益々血気盛んなC57 1であって欲しいものです。