ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C57 5とC57 6

田中 泰三様の画像の転載はご遠慮ください。

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昭和33(1958)年10月26日 金沢機関区

富山県国体時に運転されたお召列車の牽引機でした。先輪がスポークなのも美を引き締めているように思えます。

ナンバーの「5」の文字の下の丸っこい形状が独特です。

前端梁の側部縁取りが黒なのは、珍しいように思います。大体、ランボードの縁と同じように白く塗ると思うのですが。

後部標識灯を搭載していないのは、バック運転をしない前提なのだからでしょうか。

 

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昭和48(1973)年10月4日 浜田機関区

すっかり普通の姿になってしまいました。除煙板には点検用の蓋が付き、煙室扉ハンドルは通常のものに戻され、キャブ側面ではナンバープレートも札差しも位置が下になり、メーカーズプレートはちっちゃなものに交換されたようです。

でもスタイルの良さはそのまんまです。

車歴は↓こちら。

C575 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

 

 

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昭和47(1972)年6月14日 苗穂機関区

 

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昭和47(1972)年8月6日 苗穂機関区

車歴は↓こちら。

C576 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

和歌山区の機関車って、煙室前端の丸味を角に改造しているものが多いように思います。87号機とかも。

和歌山線でのさよなら運転を終えて、北海道へ飛ばされてきました。苗穂区に転属し、どんな活躍をしたのでしょうか。この1年後には千歳線 苗穂~北広島間の線路切替工事が行われ、同時に無煙化されてしまい、呆気なく廃車となり、そして呆気なく解体されてしまいました。

 

蒸気機関車」という雑誌がありました。昭和42(1967)年9月に「キネマ旬報」の増刊号として創刊し、昭和56(1981)年7月号に廃刊されるまで74号が発行されました。増刊、月刊、季刊、隔月刊と、発行間隔を変えながらも何とか継続し、蒸機が全廃となった後も読者の「この先、どうなるのだろう」という心配をよそに、蒸機だけの記事にこだわらず発行され続けました。名のある執筆陣による記事の他に、読者による投稿記事も多く、もはや記事というよりも文芸寄りの作品と云えるものが数多く掲載されていた印象です。因みに現在発刊されている「蒸気機関車EX」とは性格が全く異なります。初めてこの雑誌を買ったのが昭和48(1973)年9月号で、「C60・C61特集」でした。北海道には全く縁のない記事でしたが、機関車配置表が載っていたので買ってしまいました。撮影した機関車のナンバーを赤く塗ってチェックしたものです。

廃刊となってバックナンバーを読みたくなりましたが、発行部数が少なかったのでなかなか古本屋で見かけることも無く、たまに置いてあれば高価な値札が貼られており、とても軽い気持ちで買える代物ではありませんでした。しかしネット社会が普及しネットオークションの登場で事態は一変。あれほど入手し辛かったのに、続々と出品されて低価格で入手できるチャンスが訪れました。(アレな事情で手放す人が増えたからでしょうか。いずれ自分も・・・)それからコツコツと集めていったわけですが、つい先日、ようやく全巻揃えることができました。初めて新刊を購入してから実に48年目のことです。この雑誌に限らず「鉄道ピクトリアル」「鉄道ファン」「鉄道ジャーナル」の古めのバックナンバーもネットオークションで目に着いたら入札しています。過去にばかり目を向けているので、今の雑誌は全く読みません。だから今の鉄道界の現状はさっぱり分かりません。

因みに江別の鐵様は私よりも一か月ほど早くに「蒸気機関車」全巻を揃えておりました。