ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C57 10とC57 11とC57 12

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年10月3日 福知山機関区

車歴は↓こちら。

C5710 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

重油タンクを背負う重油併燃機です。北海道でも狩勝峠を越える小樽築港機関区のC57は重油タンクを背負っていました。華奢でオシャレでイケメンなシティーボーイが、たちまち山男に変身といったところでしょうか。重油タンクの容量は650リットルだったか。

煙突の上端から後方へ垂れ下がるチェーンの様なものは一体何なのでしょう。

 

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昭和43(1968)年10月3日 豊岡駅

車歴は↓こちら。

C5711 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

キャブ側面に明り取り窓が増設されています。

「消」の文字が入った円形プレートは消煙装置を搭載した機関車を示すものだと思います。その装置は九州地区の機関車に装備されていたもので、黒鉛防止に効果があったようです。正式には「蒸気エジェクタ式消煙装置」と呼ぶのだそうです(「RM Library No.66」より)。火室下部から圧力空気を送り込む装置で、黒鉛防止のほかシンダ発生防止にも役立ったようです。この11号機はかつて門司港機関区時代に特急「かもめ」の指定機であり、黒鉛防止は重要課題だったのでしょう。ランボードがキャブにブチ当たる下方、火室に円形状のへこみが見えますが、ここが消煙器B形の取り付け跡になります。また側窓の前方に設けられた。長円の明り取り窓もこの機関車の特徴となっています。一部のC59やC60でも見ることができます。

K-7タイプの門デフを装備しています。煙突には集煙装置が据えられ、ドーム後方には重油タンクを載せ、更に冬期間はスノープラウまで装備し、「かもめ」牽引時代とは打って変わって野性味たっぷりの姿でした。

 

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昭和43(1968)年3月31日 米子機関区(浜田機関区かも)

車歴は↓こちら。

C5712 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

集煙装置を搭載しています。上り勾配区間でトンネル内を通過する際、煙にまかれて乗務員が意識を失って暴走し、重大事故が発生することがありました。集煙装置は、上に吹き上がる煙を水平後方に流してやり、機関車にまとわりつかないようにします。画像のものは鷹取工場製のものだと思います。除煙板も煙が機関車にまとわりつかせないようにするためのものですが、こちらはトンネルの外で、煙を上方へと吹き上げる役割をしています。蒸気機関車の魅力を引き立てる煙は、乗務員や乗客にとって厄介以外の何物でもありません。碓氷峠で活躍した3920形式などは、煙突を機関車の後ろまで水平に伸ばすという大胆な構造でしたが、あまり効果はなかったのか、後に普通の煙突に改造されてしまいました。