ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C57 29

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像の転載はご遠慮ください。

f:id:railway-photo:20210414075446j:plain

f:id:railway-photo:20210414075500j:plain

昭和42(1967)年8月5日 岩見沢機関区

 

f:id:railway-photo:20210414075540j:plain

f:id:railway-photo:20210414075557j:plain

昭和43(1968)年9月1日

小樽築港機関区

 

f:id:railway-photo:20210414075644j:plain

昭和46(1971)年11月23日 苗穂機関区

 

f:id:railway-photo:20210414075724j:plain

f:id:railway-photo:20210414075743j:plain

昭和47(1972)年4月9日 苗穂機関区

車歴は↓こちら。

C5729 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

 

三者三様とはいえ、同じ角度で撮った写真が揃っているというのは意外です。

電化対策として補助灯を設置したことで表情が変わりました。回転式火の粉止めの形状が変わったのは電化とは無関係なような気がします。

除煙板は切り詰めされておらず点検口も設けられていません。また小樽築港区所属機のように峠を越えることが無いので重油タンクを載せることもなく、キャブの密閉化も行われず、数少ない原形機だったと云えるでしょうか。ランボードの下を伝い、キャブ下へ引き回される蒸気管(暖房管?)の太さは北海道機ならではのものかもしれませんが。

キャブ前面窓には防護網が張られ、機関士側には旋回窓も備わっています。側窓のバタフライスクリーンと共に、これらは北海道に配属されてからの措置かと思われます。

室蘭区時代には室蘭本線千歳線函館本線で活躍したでしょうけれども、苗穂区に異動してからは千歳線貨物列車の補機運用がメインだったと思います。それをただの1度も撮影しなかったことがいまだに悔やまれます。