ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C57 30とC57 36

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年2月1日 名古屋機関区

車歴は↓こちら。

C5730 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

第一種休車の指定を受けた後、浜田機関区へ異動します。

29号機と同じロットの川崎車輛製ですが、正面ナンバープレートの取り付け高さが異なります。おそらく、当初装着していた形式入りナンバープレートを形式なしのものに変える際、異なる高さになったものと思われます。

 

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昭和43(1968)年3月 宮崎機関区

 

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昭和46(1971)年2月17日 宮崎機関区

車歴は↓こちら。

C5736 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

C55 14より移植されたK-7タイプの門デフを装着します。煙室前端縁が角張っており、ナンバープレートを隠したらC55と間違えそうです。

日立のメーカーズプレートはとても控えめです。砲金製の区名札が威厳を放っています。

例外があるかもしれませんが、C54、D50まで採用されてきた炭水車後部の昇降梯子は、C55、D51以降はホチキス針状のステップに変更されました。工作の簡略化でしょうか。溶接工法の普及がその一因だと思います。