ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C57 60とC57 62

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年3月 宮崎機関区

 

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昭和46(1971)年2月18日 鹿児島機関区

車歴は↓こちら。

C5760 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

車歴表によれば、大分運転所の後に鹿児島機関区へ転属したことになっていますが、その前に宮崎機関区に籍を置いていたようです。

K-7タイプの門デフ装備、リンゲルマン濃度計設置、前端梁の灯火掛けがいかにも九州機って感じ。鹿児島区の休車体では煙室扉ハンドルが交換されています。他の機関車のものと交換したのでしょうか。煙室扉の蝶番ですが、上の方がなんか斜めっているように見えますね。

架線注意札をチェーンで吊っているというのは珍しいです。

もう動くことはなかったのでしょうけど、連結器付近のボルトが抜けているのが気になります。

 

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昭和42(1967)年3月26日 名古屋駅

 

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昭和43(1968)年2月1日 名古屋機関区

車歴は↓こちら。

C5762 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

重油タンクを背負う重油併燃仕様です。名古屋のC57は関西本線で旅客列車を牽引し、加太越えのために重油タンクを装備していました。

「架線注意」札は煙室扉にがっつりボルト留め。蝶番はリブ付き。

逆止弁はドームの前ではなくランボード上に設置しており、三次型の170号機以降では、その位置が標準となります。