ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C57 72とC57 80とC57 83

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年3月 鹿児島駅

車歴は↓こちら。

C5772 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

後部標識灯は装備していませんが、灯具掛けはフロントデッキに2カ所、前端梁に2カ所あって手持無沙汰のようです。

後に踏切事故で除煙板を大破し、C57 21が装着していたK-7タイプの門デフを移植します。その門デフはもともとC55 24のものでしたが。

前照灯が煤けて見えるのは気のせいでしょうか。

 

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昭和42(1967)年3月26日 亀山機関区

重油タンクが重厚感を醸し出しています。

 

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昭和44(1969)年9月30日 名古屋機関区

車歴は↓こちら。

C5780 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

浜田機関区へ異動する直前の姿の様です。煙室前端が角張っています。

連結器両脇の解放テコ受けが、なぜかボルト1本で固定されています。そのため、なんか傾いていませんか。

前端梁にはボルト孔がなく、スノープラウを装着する意志はまるでないようです。

 

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昭和44(1969)年9月30日 名古屋駅

車歴は↓こちら。

C5783 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

大分運転所から異動し、東海地区では門デフが異彩を放ったことでしょう。右上部ステーにはリンゲルマン濃度計の支持金具が残されたままです。そして注目すべきは除煙板前端に垂直パイプが追加されたこと。K-7の異端児で、C11 349(行橋区)でも同様に改造されていました。両者で形は同じですが、C57 83では振動防止のため、C11 349では傷害防止用(おそらくC11では低い位置にある除煙板にしばしば頭をぶつけたのではないでしょうか) とされ、目的は異なったものだったようです。

ナンバープレートの文字配列は、80号機に比べゆったりしており、数字の大きさも異なります。80号機は昭和13年制定図面、83号機は昭和22制定図面を基に鋳造されたもののようです。