田中 泰三様と江別の鐵様の画像の転載はご遠慮ください。
昭和43(1968)年10月3日 豊岡機関区
福知山区時代の姿で、集煙装置を載せています。後部標識灯は前端梁に掲げていますが、向かって左側は反射板付き。
昭和48(1973)年3月 苗穂機関区
福知山区から苗穂区に異動して1年が経った頃になります。重油タンクを載せたままです。除煙板の点検口は開閉式で、閉じた状態です。
キャブ前窓の庇が極端に長く(助士席側も同様)、支持金具で支えています。旋回窓は機関士側だけ。
昭和49(1974)年3月 抜海~南稚内
前の年の夏に旭川区へ転属となり、重油タンクを載せたまま抜海の有名撮影地を行く。
昭和49(1974)年8月 塩狩駅
C55のように前端角張った煙室が特徴的。しかし、この機関車の登場でC55 47が廃車となり、C55ファンは怨みの声をあげて慟哭したとかしなかったとか。
旭川で重油タンクを降ろし、補助灯は苗穂に来てからの設置。後部標識灯は前端梁にあったものをランボード前端に移設。除煙板の陰に置くことで、凍結防止としたようです。効果のほどは分かりません。
集煙装置を外して回転式火の粉止めを装着。超長かったキャブ前窓の庇は標準的な長さに。
昭和49(1974)年9月2日 旭川機関区
昭和49(1974)年9月29日 稚内機関区
旭川区所属機関車の特徴である前ステップが前端梁前面に移設されることはありませんでした。除煙板の切り詰めもされませんでした。
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