ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C57 88とC57 91

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像の転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年3月31日 米子機関区

浜田機関区の所属です。

この手の集煙装置装備のプロフィールはなかなか様になっていると思うのですが、好みは人それぞれですので、そう感じない人もいるのでしょうね。

キャブナンバープレートは、タブレットキャッチャーの下。側窓のガラス窓が見えませんが、隠れているのか外しちゃったのか。

 

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昭和43(1968)年10月 美濃太田機関区か?

車歴によれば美濃太田区の配置はないので、メモミスかもしれません。

2年前に誕生した貨物用機関車D51に倣って、動輪はボックス、煙室前端には丸味が施されました。D51はナメクジ以降では丸味は取り止めとなりましたが、旅客用機関車であるC59以降も、一部例外はあるものの丸味が継続されました。機能的にはあまり意味があるようにも思われないこの丸味ですが、印象としては旅客用機関車の矜持を感じさせます。

車歴は↓こちら。

C5788 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

 

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昭和42(1967)年8月15日 小樽築港機関区

 

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昭和43(1968)年9月1日 小樽築港機関区

 

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昭和47(1972)年8月6日 苗穂機関区

車歴は↓こちら。

C5791 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

補助灯の種類と取り付け位置、回転式火の粉止めのお皿の有無などに変化が見られ、キャブは密閉式に改造されていますが、除煙板の切り詰めはされませんでした。除煙板の点検口はいささか大きめですが、苗穂区時代には何故か塞がれています。

築港区時代の重油タンクは苗穂に異動してから降ろされました。

お召列車牽引の栄光を浴しています。