田中 泰三様とSAMPUKU爺様と江別の鐵様の画像の転載はご遠慮ください。
昭和43(1968)年9月1日 小樽築港機関区
除煙板の点検口は、91号機同様に大きめ。重油タンクを装備し、狩勝峠に挑んでいた頃でしょうか。
昭和43(1968)年12月24日 岩見沢第一機関区
回転式火の粉止めはお皿を外し、煙突の長さが強調されたように見えます。クリスマス・イヴなのに雪が全くないのは珍しいです。
後部標識灯が、煙室両脇の位置から少しだけ移設されています。
昭和47(1972)年8月 栗山~由仁
小樽築港区→室蘭区→岩見沢第一区と異動する中で重油タンクを降ろしました。
下り線から撮影した上り列車。下り線の橋梁はコンクリート製の素っ気ない物。この頃の岩見沢~苫小牧間は、1時間に数本もの蒸機列車が行き交い、退屈することはありませんでした。退屈はしませんが、同じ場所で撮り続けていると、飽きる程でした。たまにキハ22の普通列車がやってくると、新鮮な気持ちになったほどです。
昭和48(1973)年1月1日 岩見沢駅
上り列車の発車前にはみんなこの場所でカメラを構えたものです。
昭和48(1973)年8月10日 沼ノ端~遠浅
真夏でもスノープラウを装着とはこれいかに。後方でオーバークロスしているのは上り千歳線です。ここで列車が交錯することは滅多にありませんでした。
昭和49(1974)年3月 苫小牧駅
一度は使ってみたくなる夜景でのクロスフィルター。私もビデオ撮影用にと、半額で叩き売られていたものを買って試してみましたが、1度使って「もういいや」。
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C57104 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!
小樽築港区時代に重油タンクを載せて狩勝峠に挑んだ実績あり。キャブの密閉化、旋回窓の設置以外、これといった外観的特徴は見出せません。除煙板の切り詰めなし。炭水車や機関車側面の写真というのは、案外撮っていないものです。