ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C57 144

SAMPUKU爺様と江別の鐵様の画像の転載はご遠慮ください。

f:id:railway-photo:20210504070411j:plain

昭和42(1967)年8月17日 東室蘭駅

補助灯や「架線注意」札の取り付けなど、すでに電化対応済みです。除煙板の切り詰めや点検口の開口は実施されていません。旋回窓は設置済み。

東室蘭駅で貨物扱いを行っていた頃です。

 

f:id:railway-photo:20210504070509j:plain

昭和43(1968)年12月24日 岩見沢

 

f:id:railway-photo:20210504070604j:plain

昭和49(1974)年3月17日 岩見沢第一機関区

除煙板の切り詰めは施工済み。密閉キャブ化は行われませんでした。ドーム前と逆止弁の間には珍しく扇形の手摺がありません。

 

f:id:railway-photo:20210504070654j:plain

昭和50(1975)年3月7日 栗丘駅

蒸機ファンで賑わった栗丘駅。栗山~栗丘駅には好撮影地が幾つもありました。栗丘~栗沢間は単線なので、この駅では列車交換がありました。

 

f:id:railway-photo:20210504070742j:plain

昭和50(1975)年3月16日 遠浅~沼ノ端

夕陽を浴びながら岩見沢へ。

 

f:id:railway-photo:20210504070833j:plain

昭和50(1975)年8月 岩見沢第一機関区

ドームの後部形状は、C55よりもなだらかなスロープになっています。その分、重油タンクを背負ったものは、スロープの下部を欠き取られる羽目に。

 

f:id:railway-photo:20210504070918j:plain

室蘭機関区にはすでに蒸機の配置はありませんでしたが、方向転換のために転車台は残されていました。

f:id:railway-photo:20210504070936j:plain

火掻き棒(ポーカー)を使って火床整理。燃えガラをピットに落としています。キャブ内では投炭中。家庭用の火掻き棒は「デレッキ」と呼ばれ、子供が悪いことをするとそれで小突かれたり叩かれたりしそうになりました。

キャブ屋根には吊り上げ用の輪っかが付いていますが、多くは半円状の吊りピースとなっています。このあたりは工場ごとにやりやすいように付けていたのでしょうかね。

昭和50(1975)年8月 室蘭機関区

 

f:id:railway-photo:20210504071015j:plain

昭和51(1976)年3月4日 小樽築港駅

保存のためにしばし小樽築港で骨休め。ここに並んでいる機関車の多くは保存されましたが、あれから45年。今でもちゃんと保存されているのはどれくらいいるのでしょう。

144号機は地元・岩見沢市内で、D51 47と共に今でもそれなりに良好な状態で保存されているようです。

車歴は↓こちら。

C57144 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!