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昭和42(1967)年8月17日 東室蘭駅
補助灯や「架線注意」札の取り付けなど、すでに電化対応済みです。除煙板の切り詰めや点検口の開口は実施されていません。旋回窓は設置済み。
東室蘭駅で貨物扱いを行っていた頃です。
昭和43(1968)年12月24日 岩見沢駅
昭和49(1974)年3月17日 岩見沢第一機関区
除煙板の切り詰めは施工済み。密閉キャブ化は行われませんでした。ドーム前と逆止弁の間には珍しく扇形の手摺がありません。
昭和50(1975)年3月7日 栗丘駅
蒸機ファンで賑わった栗丘駅。栗山~栗丘駅には好撮影地が幾つもありました。栗丘~栗沢間は単線なので、この駅では列車交換がありました。
昭和50(1975)年3月16日 遠浅~沼ノ端
夕陽を浴びながら岩見沢へ。
昭和50(1975)年8月 岩見沢第一機関区
ドームの後部形状は、C55よりもなだらかなスロープになっています。その分、重油タンクを背負ったものは、スロープの下部を欠き取られる羽目に。
室蘭機関区にはすでに蒸機の配置はありませんでしたが、方向転換のために転車台は残されていました。
火掻き棒(ポーカー)を使って火床整理。燃えガラをピットに落としています。キャブ内では投炭中。家庭用の火掻き棒は「デレッキ」と呼ばれ、子供が悪いことをするとそれで小突かれたり叩かれたりしそうになりました。
キャブ屋根には吊り上げ用の輪っかが付いていますが、多くは半円状の吊りピースとなっています。このあたりは工場ごとにやりやすいように付けていたのでしょうかね。
昭和50(1975)年8月 室蘭機関区
昭和51(1976)年3月4日 小樽築港駅
保存のためにしばし小樽築港で骨休め。ここに並んでいる機関車の多くは保存されましたが、あれから45年。今でもちゃんと保存されているのはどれくらいいるのでしょう。
144号機は地元・岩見沢市内で、D51 47と共に今でもそれなりに良好な状態で保存されているようです。
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