ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C57 147とC57 149

田中 泰三様とSAMPUKU爺様と江別の鐵様の画像の転載はご遠慮ください。

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昭和47(1972)年8月6日 苗穂機関区

車歴は↓こちら。

C57147 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

見慣れぬナンバー機が火を落として庫の中で休んでいました。当時はまだ苗穂機関区にどういうナンバーがあるのかさえ知らない状態でしたから、特に気にも留めず、顔を撮ることもしませんでした。煙室前端が角張り、ナンバープレートが極端に下の方に付くすっげ~変な顔の機関車だったのに、あ~勿体ない。おまけにキャブの前窓は出っ張っていて、明り取りの丸窓は四角く大きくなっているなど、北海道では見かけないディテール保持機でした。それでも、梅小路区時代にはお召列車を牽引した経歴を持つ優秀な機関車だったようです。

 

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昭和42(1967)年8月5日 小樽築港機関区

ブレーキ管からホースが伸びています。どこへ、何の目的でエアーを送っているのでしょう。自転車のパンクを直しているということはないでしょうけど。

築港区時代の姿で重油タンクを背負っています。旋回窓は両側装着。

 

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右側のワムフ100形式172号も気になります。ワムフ100形式には新造車とワムフ1形式から改造されたものがあり、この172号は改造されたもので、扉の窓がその証となっています。

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昭和47(1972)年6月18日 追分駅

メーカーズプレートが外されたような跡があります。ナンバープレート、区名札・運用表差し、メーカーズプレート、タブレットキャッチャーなどの配置は機関車によって異なります。換算重量は寂しいペンキ書き。

 

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昭和47(1972)年8月 栗山駅

まだ夕張鉄道が接続していた頃なので、石炭を満載したセキ車が留置されています。左側の貨物ホームにも貨車の姿があります。線路奥には、夕張鉄道がオーバークロスする橋梁が見えます。

 

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昭和49(1974)年1月4日 栗山~栗丘

上り線のトンネル入り口付近、国道234号線をオーバークロスする橋りょう部です。

除煙板の切り詰めは未施工、そして珍しく重油タンクを外すことなく、終焉を迎えました。

車歴は↓こちら。

C57149 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!