ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C57 168とC57 177とC57 186

田中 泰三様とSAMPUKU爺様と江別の鐵様の画像につき、転載はご遠慮ください。

番号は飛び飛びですが、いずれも北海道で終焉を迎えた機関車です。

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昭和47(1972)年6月18日 苫小牧駅

 

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昭和47(1972)年8月 追分駅

除煙板の切り詰めなし、ドーム前の手摺なし、キャブの密閉化未施工、旋回窓は機関士側だけ、窓防護網は両側設置。キャブ出入口のカーテンにも大きく機番を記しています。持ち物に名前を書くのは基本ですね。

車歴は↓こちら。

C57168 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

 

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昭和42(1967)年8月 琴似駅

この時代の特徴である三つ目機です。除煙板は切り詰めなし。狩勝越え運用に備えて重油タンク装備。旋回窓設置。機関士側のキャブ前窓の庇が歪んでいます。同じく、機関士側の除煙板のフロントデッキ設置部付近には「丸い何か」があります。キャブは密閉化されています。

北海道では千歳線以外で、C57が貨物列車を牽引する運用はほとんどなかったように思います。

車歴は↓こちら。

C57177 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

 

 

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昭和49(1974)年12月17日 旭川機関区

分かり辛いですが、状況からみて間違いなく186号機です。戦後生まれです。

全検切れのC55(30、47、50号機)に代わり、本州から検査期間の残るC57(87、130、186号機)が順次やってきました。まずC55 47に代わりC57 87が、次にC55 50に代わりC57 130が、そして最後にC55 30にはC57 186が取って代わりました。186号機の宗谷本線での活躍はわずか2か月ほど。それでも切り詰め除煙板や旋回窓など、北海道仕様に改造されていますが、キャブは密閉化されませんでした。

C55が去った時点で宗谷本線を訪れるファンは減少したのでしょう、186号機はあまり記録されることなく火を落としました。

宗谷本線の客車の蒸機運用は、昭和49(1974)年12月8日の322列車が最終で、130号機の牽引だったようです。って、そういうことは130号機の記事で書くべきでした。

車歴は↓こちら。

C57186 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!