ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C57 196とC57 197とC57 198

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和46(1971)年2月17日 宮崎機関区

車歴は↓こちら。

C57196 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

四次型唯一の門デフ機で、K-9タイプを装備。LP42とのバランスも良く、四次型という点では脚光を浴びなかったグループの中にあって、唯一、注目を浴びました。

先輪は2軸ともスポークに交換されています。キャブ側面のナンバープレートは191号機同様、タブレットキャッチャーの前寄りに取り付けられ、キャブから前に飛び出しています。ランボードは空気圧縮機や給水ポンプで分断され、動力式逆転機はネジ式に交換されており、またキャブの出入り扉は撤去されるなど、原形を損ねてはいるものの、三次型までのスタイルに戻ったと受け止めれば、それはそれで悪くないのかもしれません。

宮崎機関区のC57といえば、昭和48(1973)年10月から半年間だけながら、下り急行「日南3号」の牽引が大きな思い出でしょう。急行「大雪6号」を最後に、全国から蒸機牽引の急行列車が消えたと思われた矢先の蒸機復活劇。この196号機も急行用機関車として、本来の姿を沿線のファンに披露したことでしょう。

 

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昭和43(1968)年9月1日 小樽築港機関区

車歴は↓こちら。

C57197 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

193、194号機とともに、東北からの転入車です。193号機とは異なり、ランボードは原型のままながら、旋回窓はしっかり装備。

除煙板の前下端部がボルト固定の、取り外し可能な構造になっています。何のためなのでしょう。

炭水車は193号機と異なり、後部に切り欠きのないタイプです。同時期に製造されたC58やC59の炭水車も同様の構造です。

 

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昭和43(1968)年10月3日 福知山機関区か?

 

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昭和47(1972)年8月25日 亀山機関区

車歴は↓こちら。

C57198 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

船底型炭水車の特徴的な断面がよく分かります。後部の切り欠きがない炭水車なので、とても腰高に見えます。前照灯が更に嵩上げされており、ひょうきんな印象です。

重油タンク装備、ランボード分断。

除煙板の前下端部が197号機同様に分割可能な構造になっていますが、バイパス弁点検用の穴は設けられていませんが、この後に開口されます。

砂撒き管は通常、主動輪の前後に設置されますが、この機関車では主動輪と第一動輪のそれぞれ前方に設置されています。バック運転は行わない前提でしょうか。

ナンバープレートは青緑地でした。(炭水車のものは黒地)

廃車後は、縁もゆかりもない千葉県の君津市に保存されましたが、無管理状態の下、荒廃著しく解体されてしまいました。一部の部品は180号機に移植されたとも云われています。