ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C58 47とC58 49

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和47(1972)年8月28日 厚狭機関区

車歴は↓こちら。

C5847 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

後部標識灯は、前側だけでなく後ろ側も埋め込んでいます。

向って左側の踏板を取り付けているプレートが、右側と同じストレートになっていますが、一般的には、炭水車付きのステップから逃げるように軽くZ字型に折るのですがね。(24号機参照)

 

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昭和45(1970)年9月25日 津山駅

補助灯掛けが機関士席側にありますが、こちらに補助灯を設置した例は見たことがありません。

車歴は↓こちら。

C5849 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

番号が36号機から46号機(46号機は過去記事で紹介)まで一気に飛んでいますが、これは軍供出で東南アジアへ出征した機関車の分です。因みにその番号は37、38、40、42~45、52~55、67、68、73、91、93~96、130、131、133、134、136、138の25輌になります。もともとは51輌を予定してメートルゲージに改軌の他、現地向け改造を施したのですが、資材不足で工事が遅れ、更に輸送船の手配が難航し、最初の25輌が送られただけで終戦を迎えました。その25輌も途中で一部の船が敵に撃沈され、無事に現地に到着したのは10輌程度だったようです。命拾いしたC58はタイなどで使用されたようですが、軸重が重いために本線運用はできず、入換に従事していたそうです。