ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C58 64とC58 66

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

f:id:railway-photo:20210531071833j:plain

f:id:railway-photo:20210531071853j:plain

昭和47(1972)年8月28日 小郡機関区

車歴は↓こちら。

C5864 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

ながらく芸備線で活躍するも、小郡区転属後ほどなく休車に。そしてすぐに廃車。

47号機同様、炭水車後面の左側ステップは屈曲することなくストレートの形状です。

 

f:id:railway-photo:20210531072017j:plain

f:id:railway-photo:20210531072034j:plain

f:id:railway-photo:20210531072047j:plain

昭和47(1972)年8月25日 亀山駅

車歴は↓こちら。

C5866 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

暑さからでしょう、開けられる箇所は全部開放して、キャブ内の通風をよくしているようです。加太越えの補機運用に備えて集煙装置を装備していますが、合間には信楽線まで足を伸ばしていたようです。

太平洋戦争中、C58は25輌がメートルゲージに改軌の上、タイやビルマに供出されたということを過去記事で書きましたが、計画では更に改造済の26輌が供出されることになっていました。しかし戦局悪化でそれ以降の輸送は断念。これら26輌は戦後、原形に復元されて国鉄に無事復帰しました。今回の64号機、66号機はともにメートルゲージに改軌されて危うく異郷の地へ飛ばされるところでした。命拾いをしたC58は他に39、41、46、49~51、56~58、65、69~72、88~90、92、132、136、137、139~141号機の24輌です(「蒸気機関車」昭和50年7月号より)。

66号機は大阪市内のローソン内に保存されていますが、厳重にガラス張の「檻」の中にあるので、接近して観察することはできません。除煙板のツバメマークが何となく怪しげで、形式入りの赤いナンバープレートもちょっと不気味な感じがします。形式入りナンバープレートを装着した現役時代の写真は、C58 1落成時の公式写真でしか見たことがありません。