ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C58 98

田中 泰三様と江別の鐵様の画像の転載はご遠慮ください。

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昭和48(1973)年8月1日 原生花園駅付近

観光シーズン中に開業する「原生花園」駅は、画像のすぐ左側にあります。この日はあいにくの雨でしたが、多くの観光客がバスで乗り付けていました。撮影場所を探して画像に写る国道を網走方面に歩いてゆくのですが、道路には雨に誘われたミミズが大量に這い出ており、人や車に踏まれまくっており、ちょっとした惨状を目の当たりにしました。

 

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昭和50(1975)年3月 網走駅

グリーン車や寝台車を含む編成は、夜行急行「大雪5号」です。撮影可能な時間帯を走る下り列車は、北見~網走間では普通列車扱いだったので「大雪崩れ」などと揶揄されていましたが、外見は急行列車そのものなので、多くのファンが日本最後の蒸機牽引急行列車の姿をカメラに収めていました。

 

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昭和50(1975)年3月 緋牛内~美幌

 

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昭和50(1975)年4月 北見機関区

 

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昭和50(1975)年11月 桜山レジャーランド

 

車歴は↓こちら。

C5898 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

他の形式に対して、その人気は決して高い方ではなかったものの、特定の路線ではその沿線風景にマッチした姿が人気を博していました。そのひとつが釧網本線のC58でした。JR化後は「くしろ湿原ノロッコ号」「流氷ノロッコ号」「SL冬の湿原号」などの観光目的の臨時列車が運転されるほど、自然風景を満喫できる沿線風景には人気があり、そうした中を黙々と走る蒸機列車に、蒸機ファンが飛びつかない訳がありません。

釧網本線のC58は完全な北海道仕様で、とりわけ目立つのが、左右の除煙板をアーチ状に結ぶ「ツララ切り」でしょう。冬期間、トンネル内に垂れさがるツララをこれで破砕し、キャブ窓を守ります。

除煙板は切詰めされ、フロントデッキにはコの字型の手摺を追加。除煙板の点検口の蓋は、保存の際に撤去されたようです。

運用されるのは非電化区間のみなので「架線注意」札の取り付けは無く、補助灯はLP405ではない簡易的なもののようです。その補助灯も保存の際に撤去されました。

旋回窓は機関士席側のみで、助士席側は防護網のみ。

画像ではちょっと分かりにくいですが、ドーム前の手摺は一般の扇形とは異なる形状です。

廃車後、深川市にある「桜山レジャーランド」で「SLホテル」として寝台車・食堂車の3輌と共に保存されていましたが、ホテルの廃業に伴いメンテはおざなりにされて客車は倒壊や劣化により解体。C58 98のみが保存されてはいるものの、部品の盗難や損壊が見られるようです。近くにはD51 312も保存されていますが、レジャーランドの施設は撤去済で当時の面影は失せ、「桜山公園」として生まれ変わり、パークゴルフ場を備えた市民の憩いの場となっているようです。