田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。
昭和42(1967)年8月19日 一ノ関管理所
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C58163 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!
本来ならば二段構えになっている排障器ですが、前の方が撤去されています。
キャブ前妻の明り取り窓は無さそうです。
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C58164 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!
津山機関区時代の姿になります。因美線、姫新線での運用にあたっていました。
鷹取工場製の集煙装置を装備。集煙装置はネコパブリッシング刊「RM LIBRARY 65 国鉄蒸機の装備とその表情(上)」によれば、昭和27(1952)年、北陸本線の柳ケ瀬越え対策として敦賀機関区で考案されたものだとか。製作は浜松工場で、これが全国の峠越えをかかえる機関区へと波及し、多度津工場、鹿児島工場、後藤工場、鷹取工場、長野工場、郡山工場などで、独自の工夫がなされ製作され、装備されました。しかしなぜか北海道では装備されませんでした。常紋や狩勝など、トンネルを有する名にし負う峠はあったのですがね。