ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C58 177とC58 181

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年6月30日 八王子機関区

車歴は↓こちら。

C58177 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

キャブ側面の画像しかありません。換算票は文字配列に余裕のあるプレートです。

この頃、八王子機関区には3輌のC58が配置され、横浜線の八王子~菊名間の貨物運用に従事していました。その3輌とは177号機の他に6号機と212号機で、前照灯は6号機のみLP403で、この177号機と212号機はLP405でした。しかし3輌揃って、煙室扉のハンドルは十字タイプのもので、真鍮製なのか、常に金色に光らせていたようです。

翌年にDL化されてC58は姿を消しました。

 

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昭和42(1967)年8月19日 青森機関区か?

車歴は↓こちら。

C58181 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

この当時の配置は尻内管理所なので、運用区間東北本線の三沢~一戸間。ならばこの画像は青森ではなく尻内(現 八戸)駅付近なのかもしれません。でも、控え車があるということは、やっぱり青森なのかも。しかし尻内管理所には客貨車区もあったので、控え車があっても不思議ではありませんね。分からん。

東北本線の盛岡以北の電化開業はこの1年後なので「架線注意」札は貼り付けがいささか早い気がします。

二段構えの排障器のうち、前方のものが撤去されています。キャブ前窓がちょっと飛び出た構造になっています。そして庇の上にも「架線注意」札が。

炭水車に増炭枠はありません。運用距離が短かったのでしょうか。