ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C58 360とC58 364

田中 泰三様と江別の鐵様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和45(1970)年9月25日 新見機関区

車歴は↓こちら。

C58360 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

ナンバーを隠すとD51を間違えそうです。いや、間違えるでしょう。扇形車庫の中で顔を出して止める機関区が多いのか少ないのかは分かりませんが、苗穂機関区・旭川機関区・稚内機関区などはお尻出しでしたから、なかなか顔をすっきり撮ることができませんでした。

キャブ前窓は張り出しタイプだったようです。

 

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昭和44(1969)年1月8日 美濃太田機関区

 

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昭和44(1969)年1月8日 鵜沼駅

車歴は↓こちら。

C58364 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

美濃太田区所属機関車の最終蒸機列車だったようです。元お召し機ですが、この時はお召し整備とまでは行きませんが、磨かれた手摺に現場の愛情を感じます。ランボードに手摺まで付けちゃって。

「さよなら運転」を「祝」とするのは、蒸機という厄介払いができたという意味に受け取ってしまいます。(実際、その通りだと思います。)「無煙化達成!」ということならば確かに「祝」で間違いないでしょうけど、それは翌日の列車に持ち越すべきだったのではないでしょうか。せっかくの菊の御紋を隠しちゃっているし。

転属先の遠江二俣区時代にも昭和46(1971)年3月31日、二俣線で「さよなら列車」を牽引しました。車歴表ではこの「さよなら運転」以前の3月25日に陸東・石巻線管理所へ異動となっており、その真偽のほどはどうなのでしょう。因みに、陸東・石巻線管理所は同年4月1日に小牛田運転区に改称されています。

 

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昭和46(1971)年 小牛田運転区

陸羽東線で活躍していました。補助灯のアピール度合いが半端ありません。