ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C58 388

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年6月30日 高崎第一機関区

車歴は↓こちら。

C58388 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

除煙板の折れたステーの形状は戦後型の特徴です。

368号機から番号が一気に飛びました。369~382号機は樺太庁鉄道が発注した「C58 1~C58 14(そのうちC58 1~C58 5は元C51 1~C51 5)」を国鉄編入時に改番したものです。給水温め器は非装備だったようで、天塩鉄道(→天塩炭礦鉄道)や三井芦別鉄道のC58が同様の姿でした。

樺太のC58は内地へ転属されることはなく、終戦後、全機ソ連に接収されてその後の動向は不明です。

383号機以降は戦後型となり、設計変更が実施されました。

まず、ボイラー径が30mmほど太くなり、先輪がスポーク輪心からディスク輪心に変更されました。外観上の最大の変更は何と云っても炭水車でしょう。6-17形(石炭6トン、水17㎥)から8-20形に大型化された舟底型となり、後端上部の切り欠きはなくなりました(改造により切り欠きを設けた機関車もあります)。また台車は板台枠(LT-201形式)から鋳鋼製(LT-206形式)となりました。

C58には、C11、D51、D52のような製造を簡略化した戦時型は存在しませんが、戦後型には製造上の不具合が各所に見られたようで、45輌のうち実に41輌がボイラーを交換しています。(戦前型も5輌がボイラー交換。)