ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C58 414

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昭和46(1971)年6月13日 苗穂機関区

 

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昭和47(1972)年8月6日 苗穂機関区

車歴は↓こちら。

C58414 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

千歳線で貨物列車を牽引したり苗穂駅構内で入換をしていました。この当時、苗穂機関区所属のC58は7輌がいて、414号機の他には393、415、416、419、421、425号機と、全て戦後型でした。苗穂区には他にC57、C11の配置もあり、C58が一番輌数が多かったのですが、機関区構内には他区からのD51が圧倒的な数で休息しており、C58はあまり目立たない印象でした。

この頃の苗穂機関区は事務所で撮影許可を簡単に貰えたのが嬉しかったです。もっとも、公道から忍び込むことも容易にでき、地元の子供たちが扇形車庫の周りでたまに遊んでいました。職員の子供だったのかもしれませんが。

道外の機関区では、事前にハガキで見学を申し込まなければいけない所もあったようです。季刊誌「蒸気機関車」には機関区のガイド記事が毎号掲載されており、許可の貰い方も紹介されていました。道内の機関区は大抵、ぽっと事務所に行って「撮影させて下さい」と申し出れば「はい、ノートに住所と名前を書いてね」で撮影させてもらえました。苗穂区ではヘルメットを貸してくれましたが、他の機関区ではそれはなかったように思います。

蒸機現役時代の写真集には機関区で撮影した写真が沢山ありますが、それは決して特別なことではなく、今から思うと夢のような出来事です。中学生時代の思い出です。