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昭和46(1971)年2月7日 苗穂機関区
昭和46年ながら、除煙板の切り詰めが行われていません。釧路区から転属した機関車ですが、釧路区らしい外観としてはフロントステップの固定方法なのですが、それは下の画像でよく分かります。またドーム前の手摺も、丸味の大きいタイプです。
昭和47(1972)年6月14日 苗穂機関区
除煙板は切り詰められ北海道仕様に。またドーム前の手摺は扇形の苗穂タイプに交換されています。
後方は函館本線と千歳線。この当時、苗穂機関区には常に10輌以上の機関車が待機していました。所属機のC11、C57、C58よりも、他区からのD51の姿が目立ちました。1時間も居れば鼻の中はまっ黒黒介になったものです。国鉄の官舎は機関区からは離れていましたが(ドウデンの裏にあり、今はマンションが建っています)煙は漂っていたので、洗濯物なんかどうしていたのでしょう。
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