ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C11 196

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年3月17日 直方機関区

車歴は↓こちら。

C11196 機関車データベース (形式C11) - デゴイチよく走る!

この3年後、熊本機関区へ転属し、ほどなくして最期の地となる小牛田運転区へ異動するのですが、半年ほどで休車となり、2か月経ったところで敢え無く廃車。どんな意味があったのかと思わせるような転配です。

 

この頃の配置を見て見ると、九州最大の輌数を誇ったのが門司機関区で、蒸気機関車だけで52輌が配置されていました(他に電機が81輌、DLが8輌配置)。それに続くのがこの直方区で45輌の機関車が配備されていました。因みに道内の場合は、最大規模が小樽築港区の55輌、次が岩見沢区の54輌、五稜郭区の43輌と続いています。蒸気機関車は給水・給炭なしではせいぜい50~100kmほどしか走れずロングランが苦手です。そのため長距離列車の場合には途中駅で給水する他に、機関車を交換する場合もありました。機関区の数が多かったのはそんな事情があったからで、配置される機関車の輌数も今から見ると異常に多く感じます。ホーム外れの給水用のスポートなどは、機関区を要するような主だった駅には必ず設置されていました。趣味的には楽しい蒸気機関車が、いかに非効率な動力であり人手を要し、かつ煤煙を撒き散らす存在であったか、その事実には目をそむけたくなりますが、でもやっぱ、蒸機はええわ。