ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C50 123

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年7月1日 小山機関区

 

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昭和43(1968)年7月1日 桐生駅

車歴は↓こちら。

C50123 機関車データベース (形式C50) - デゴイチよく走る!

残念ながら接近しての写真はありませんでした。それでも特徴的な煙突のキャップは確認できます。

あくまで主観ですが、スポーク動輪は美しいです。その強度からD51、C57以降はボックス動輪になりましたが、一部の8620やC51にはボックス動輪に履き替えたものがあり、ファンからは嫌がられていました。8620のボックス動輪は、C58のものを流用したのではないかという憶測がありましたが、そもそも動輪径がC58の1520mmに対して8620は1600mmですから、流用はあり得ません。ブ厚いタイヤを履かすこともないでしょうし。つまり8620のボックス動輪は、8620専用に作られたものだったようです。

スポークを通して向こう側が透けて見えますが、主動輪である第2動輪を見ると、向こう側の釣合錘(つりあいおもり:カウンターウェイト)が、90度先行しているのが確認できます。これが9600なら左側先行と。

現在は地元小山市で長い休息についています。外観良好。

 

昨日の眞子さんと圭さんの記者会見では、フラッシュは全然焚かれていませんでした。おそらく規制がかかったのだと思います。芸能人・著名人の会見なら、何か喋るたびに狂ったように閃光しまくりますが、昨日のようだと穏やかに見ていられます。

そういえば鉄道撮影でも、バルブ撮影している人を前にストロボを発光するとめちゃくちゃ嫌がられます。(ビデオの照明さえも嫌がられます。)勿論、夜間、走行している列車に向ってフラッシュを焚くなどご法度です。場所と状況をわきまえて使用することが肝要ですね。