ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C59 159

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和48(1973)年8月22日 七尾線

車歴は↓こちら。

C56159 機関車データベース (形式C56) - デゴイチよく走る!

長らく小海線の運用にあたっていましたが、七尾線で映画ロケに使用されていた123号機が映画のシーンを再現するかのような踏切衝突事故に遭遇し廃車に。その代替として急遽、159号機は七尾区に転配されました。七尾線では「おくのと号」の牽引にもあたり、その最終列車で有終の美を飾っています。画像は、その1か月前の姿です。

向って右側の除煙板上部ステーからピコーンと直立する金具はなんなのでしょう。補助灯支持具?リンゲルマン濃度計取り付け具?

何か表情がさらっとしているなと思ったら、煙室扉回りの手摺がコの字形の小振りなものに付け替えられています。

画像では判別しにくいですが、キャブ屋根が後方に延長されています。

小海線時代(中込区時代)にはなかった除煙板の点検口が設けられています。また「おくのと号」は急行列車だったからでしょう、炭水車にタブレットキャッチャーが設置され、またキャブ出入り口には転落防止用の安全手摺が備えられています。

廃車後は石川県志雄(しお)町(現 宝達志水町)に保存されましたが、塩害による腐食が進むも手当はさっぱり進まず、こりゃもう手に負えんとばかりに結局は解体されてしまいました。その際、160号機に部品を譲った縁からなのか、第二動輪が梅小路機関車館の屋外に展示されました。しかし 名も無き車輪たちとの集合展示で、説明板もありませんでした。そして京都鉄道博物館となってからはどうなったのでしょう。