田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。
昭和43(1968)年10月 浜田機関区
車歴は↓こちら。
C5796 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!
これでは外観がよく分かりませんが、某書籍の写真を見ると集煙装置を載せていたようです。また前照灯はちょっとガッカリなLP405。浜田機関区のC57は集煙装置を載せた機関車が多かったようですし(一部、重油タンクも装備)、また夏場でもスノープラウを取り付けた時期があったようです。運用は浜田を中心に東は後藤、西は益田まででした。風光明媚な日本海沿いを往く姿は、写真に数多く記録されていますね。
境線の後藤にはあの有名な後藤工場があり、現在は後藤総合車両所として稼働中。境線は短いローカル線に過ぎないのに、なんで国鉄の工場があったの?と疑問に思って調べてみたら、もともと境線というのは、境港と岡山とを結ぶ陰陽連絡線として計画された路線だったのですね。札幌駅に対する苗穂工場のように、米子駅に対して後藤工場が設置されたということです(機関区は米子機関区、現 後藤総合車両所運用検修センター)。結局、陰陽連絡線は紆余曲折があって、今の伯備線や姫新線、因美線。津山線という形で落ち着きました。後藤工場といえばGタイプ(-1~-7)で表現される門デフが有名で、輌数こそ少ないですが、その独特の形状がファンの憧れであったと云っても過言ではないでしょう。後藤工場では浜田区、米子区、新見区などの機関車の整備を担当していました。