ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C57 192

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和47(1972)年3月 宮崎機関区

車歴は↓こちら。

C57192 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

戦後に製造された4次型です。本来のC57がちょっとだけ中年太りしたような(実際、ボイラー径は若干太くなっている)印象がなきにしもあらず。とは云え、生きている実物は見たことがないので、目の当りにしたら印象は変わるかもしれません。ミニC59とも云われてるとか何とか。

前を見れば給水温めにが大きな箱型カバーで覆われ、側面に目を移せばランボードは空気圧縮機や給水ポンプをかわすように立ち上がり部を設けて連続しており、また動力逆転機が装備され、キャブは密閉式となり、後ろを見れば炭水車が船底式となっています。などと教科書的に綴ったものの、この192号機ではランボードは3次型以前と同じく立ち上がり無しでブチ切れており、ネジ式逆転機に交換され、せっかくの密閉キャブも出入りドアは撤去されています。またディスクタイプの先輪は、片側だけスポークに交換されています。以上、この画像では確認できませんが、機芸出版社「蒸気機関車の角度」掲載の写真から。

除煙板は前方上角が大きく隅切りされて、C54時代に戻ったのか、それともC58以降の近代的スタイルになったのか、よう分かりませんけど。

性能は変わらないのに割と大きな設計変更を実施した理由は何なのでしょう。工作上の理由ならば理解できますが、そうでもないようですし。技術者の趣味だったとか?一般には同時期に製造された戦後型C59の影響を受けていたということのようですが・・・よう分からんです。